この記事のポイント
- 日本でもサプライチェーン全体のサイバーセキュリティ対策が進む
- 新たなチャレンジは、サイバーセキュリティのリスクをセットで考える
- 世界中でセキュリティ人材のニーズが高まっている
サプライチェーン全体で進めるセキュリティ対策
サイバーセキュリティ領域において、日本は現在どのような状況にあるのでしょうか。
まず大前提として理解しておくべきことがあります。それは、安全保障上、日本は米国と互いの取組みを意識し合っている、ということです。その中で日本は、中国をはじめとする米国の競争相手との付き合い方について、深く考えなければなりません。
貿易額でいえば、中国にとって最大の輸出先は米国です。そして、中国が米国へ最も多く輸出しているモノはノートPCです。米中は両国とも重要な貿易相手であり、そのことを互いに理解しています。経済を完全に分離することは不可能ですが、米国としては、国家の安全保障を考えるうえで必要最低限のものは自分たちで作っていかなければならない、という流れがみられます。このような状況の中で、日本は非常に難しい舵取りを迫られているわけです。
サイバーセキュリティの観点では、日本の対策はどの程度進んでいるのでしょうか。
残念ながら、日本は遅れています。ただ、米国政府のサイバーセキュリティが進んでいるのかと聞かれれば、必ずしもそうとはいえません。2022年1月に米国行政管理予算局(OMB)が「米国政府のゼロトラスト・サイバーセキュリティ原則への移行についての覚書」を公表するなど、米国政府はゼロトラストアーキテクチャ戦略を打ち出しています。しかし、そこに実行が伴っているかというと、満点とはいえない状況のようです。
とはいえ、サイバーセキュリティの問題は政府単独では対応できないことを理解しているぶん、米国は進んでいるという見方もできるでしょう。米国政府や軍は、IT産業をはじめとする民間企業と連携しながら国を守っていくという意識を強く持っています。かつて米軍は民間製品をあまり利用してきていませんでしたが、コンピュータについてはすべてを軍専用というわけにはいかず、民間品を使わざるを得ませんでした。米国はIT業界も巨大ですから、それなら彼らの力を使おうという発想になりますよね。だからこそ、サプライチェーン全体でサイバーセキュリティを考えることの重要性が高まっているのです。
日本でも同様の流れが進むのでしょうか。
間違いなくそうなるでしょう。たとえば、サイバー攻撃者はプロトコルが複雑である制御システムには手を出さないという説がありますが、米国企業がランサムウェア攻撃の被害にあった2021年の事件では、制御システムが停止しました。制御システム自体に被害はなかったのですが、制御システムを管理するシステムがランサムウェアに感染してしまったため、インフラ設備を止めざるを得なかったのです。
つまり、重要インフラの制御システムを止めるためには、制御システム自体を攻撃せずとも、周辺のシステムを止めてしまえば良いということです。たとえば、鉄道の信号機の状態を監視するシステムが止まってしまうと、信号機自体に問題がなくともフェイルセーフ(装置や機器が必ず故障することを前提に、トラブル発生時にあらかじめ定められた安全確保を行う設計手法)の発想から信号機も電車も止めなければなりません。そのため、重要インフラのサイバーセキュリティについては、サプライチェーン全体で考えることが特に大切なのです。
日本企業のサイバーセキュリティへの本気度は?
日本企業の情報セキュリティ部門は現在、どのような課題を抱えていますか。
企業は新しい価値を生み出して成長し続けなければ生き残れませんから、常にチャレンジを続けていかなければなりません。その際に、サイバーセキュリティを含むリスクをセットで考える習慣をつけていくことが必要です。最近では、Web3やメタバースなどの新しい技術領域に注目が集まっていますが、それが実装されたときにどのようなネガティブな事態が起こるのか、そのとき最低限対策しておくべきことは何なのか、それらをきちんと考えたうえでビジネスを設計しなければ、大きな損失が発生するリスクが大きくなります。
たとえば、「中国では可能なことが日本では国の規制によってできない」と規制緩和を主張する人がいますが、それは国の選択としてどうすべきかという思想や倫理に関わる問題です。誰かの利益のために一部の人々を犠牲にしても良いという考え方を採るなら、とにかく規制緩和を進めれば良いのかもしれない。でも、日本は本当にそれで良いのでしょうか。これはテクノロジーと倫理の問題です。とても難しいテーマですから、表面上の理解だけで進めてしまうと、後々大きな影響を及ぼします。だから、私たち日本人はよく考えなければなりません。たとえば、欧米ではすでに、顔認証の精度に人種差がある、などといった多くの問題に直面しており、深い議論が進んでいます。
日本ではテクノロジーの進化が倫理に及ぼす影響に関する議論が進んでいない印象です。
その理由の1つには文化の違いがあると思います。日本には話さずともわかる文化がある。一方、多様な人種や宗教が共存する欧米は、話さなければお互いに理解が十分深まらない社会といえます。日本のように「空気を読め」ではなく、「議論をしよう」「話し合おう」というカルチャーがベースにあります。欧米では、そうした普段の議論の中から方向性を見出していくのでしょう。
新しいチャレンジとサイバーセキュリティのリスクをセットで考えるという意識を、日本企業の経営者はどの程度持っているのでしょうか。
これは投資家も注視しているポイントですから、以前よりも状況は良くなっていますよ。ただ、「考えなければ…」で止まってしまい、具体的な取組みにまでは落とし込めていない経営者が多いというのが実際のところでしょう。2022年3月に米国証券取引委員会(SEC)は、上場企業のサイバーセキュリティに関連する新たな開示ルールの案を公表しました。この中では、経営陣にサイバーセキュリティに関する責任者がいるか、その人物が専門知識・スキルを持っているかどうかを開示しなければならないと提案されています。ただ、日本ではそこまで進んでいるとはいえません。
「サイバーセキュリティの領域にどこまで投資すればいいのか?」「サイバーセキュリティ人材が足りない」といった声も聞かれます。
日本企業の中には必要な数の人材はいませんが、それは他の領域でも同じことがいえますよね。社会が勝手に人材を育ててくれるわけではありませんから、企業はまず、自社できちんとセキュリティ人材の育成に取り組まなければなりません。そこに対して投資が必要ということです。
たとえば、新製品を作りたいと考える企業は工場を建設したり、新技術を生み出したいと考える企業は研究所を造ったりします。セキュリティ人材の育成についても、同じように投資が必要なのです。「お金がない」という経営者の方もいます。でもそれは、「やる気がない」ということ。「やりたくない」といっているのと変わりません。このインターネット時代に企業経営を考えるなら、サイバーセキュリティに本気で投資しなければならないという意識が自ずと出てくるはずです。そして、経営者の頭の中で「やらなければならないことなんだ」という意識のスイッチが入ると、途端にお金の話は出なくなります。その先は、何をどうしていくべきかという建設的な議論になっていくのです。
セキュリティ領域はチャンス領域
経営層の本気度が足りないという問題に関連して、日本企業では、現場の担当者のオーバーワークによって「何とかなっているように見える」という状況もあるようです。現場が消耗しているケースは少なくありません。
そのような会社に勤めている現場の人たちに私は、「転職したらいかがですか?」と勧めています。「経営者が動いてくれない」と悩む方も多くいます。でも、そのような経営者と一緒に、あなたが“沈みゆく船”に乗る必要はないのです。サイバーセキュリティを真面目に考えている会社は必ず見つかります。サイバーセキュリティ人材の能力を生かせる場所はたくさんあるはずです。
専門知識とスキルがあり、さらに経営の視点も持ち合わせている人材であれば、活躍の場が数多くありそうですね。
とてもたくさんあると思います。セキュリティ人材は世界的に不足しています。米国では今、高待遇でのセキュリティ人材の求人が数多く出ていますよ。
日本はこれまでジェネラリストの育成に注力してきたため、「スキルで生きていく」という考え方が育っていません。一方米国は、まさにスキルで生きていく文化です。動詞に「er」がついて職業になる国ですから、会社はたまたまそれが求められている場所だったという考え方になります。だからこそ、人材が会社を変えていくのは当たり前のことなのです。これからの日本でも、同じ会社で漫然と働き続けるという発想は危ういものになっていくでしょう。
そのような状況も踏まえて、最後にセキュリティ担当者の方々へメッセージをお願いします。
自分の力を信じて、自分の力を伸ばすことが大切だと思います。もちろん自分が何をやりたいのか、目標を持つことは必要です。そこに対して「この会社であれば能力を伸ばせる」「稼いだお金で新しいことをやりたい」といったように、目標達成のための手段として会社があるという発想で職場を選んでいくと良いのではないでしょうか。そうした考え方は、グローバルで働いていくためにも有効です。
セキュリティはとにかくチャンスのある領域です。世界中で人材不足が叫ばれる現在は、日本にこだわる必要もありません。現場の担当者のみなさんには、ぜひ世界的な視野を持ってご自分のキャリアを形成していってもらいたいですね。
(取材・文:周藤 瞳美 、写真:岩田 伸久)
